« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »

2007年4月29日 (日)

ふにゃふにゃ教育。

今年度の教科書でいくつかが漫画を多用しているらしいが・・・。
 
 
分かりやすい教科書だとぉ!
 
 
もう、こんな教科書を出している時点で、アウトっすわ。
やっぱりね、人間の知恵を育てるのって文字やし、"覚えよう"とする力やと思うのね。
 
教科書なんて難解でエェねん。それを読み解く理解力を育てるために教師がおるんやろ?
たぶん、そこんとこの本質が忘れられているのか、無過ごされているのか・・・。
嘆かわしいことやね(ーー;)
難しいハードルを越えてこそ、知識の習得に繋がるというのに・・・。
 
生徒の能力を確実に低下させ、ついでに教師の指導力をも低下させちゃう教科書に・・・渇!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月28日 (土)

あなろぐ女子。

唐突ではあるが、
うちの嫁は、パソコンをほとんど使えない。
  
半年前なんて、スイッチON/OFFすら無理でした。
 
 
しかも、
彼女が触ると、なぜか毎回の如くパソコンが不調に陥る。
いったいどういう使い方をしているんだろう。
 
さらに、ちょっとおかしな状況に陥ると、"ギャーギャー"言われる。
そんなときは、一発小突いてからMAXフォローします。
 
 
まぁ、使えないからといって生活に支障がある訳でもないので
基本的に放置していますが、本人がオークションなぞを使いたいようで
仕方なくパソコン教室でも開いてやろうかと思案するこのごろ。
 
 
 
 
 
 
金取ったろか。
って、結局はオイラの懐から出てるんじゃん(>_<)
 
 
 
 
 
 
壊さない使い方だけ教えないと・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年4月26日 (木)

最近・・・。

娘を幼稚園に送るのが日課になってしまった。
 
嫁さんが早くに働きに出とるからのぉ~~~。
 
 
 
毎朝、娘と会話・・・
っつっても、ボケツコッミに近いものがあるし、
お互い口は悪い。結構。
 
 
 
なかなか刺激的だ~ね~。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月25日 (水)

私見。

よく、思想について”右”やら”左”やら・・・なんて言葉でてきまっけど。

偏った思想ほど危険極まりないことはない。対論にもきっちりとした

根拠で述べることのほうが大事。抽象論で逃げてるのが左翼系の特徴で、

まぁ、右翼系も同じようなもんで、意見を聞き入れることなんて皆無やし。

見聞きしていてハラハラするもの。

 

「偏っている=考えが一本化している・正当」

ではない。

 

ただ単に、他の意見を聞き入れる余地がないだけ。

ようは自分だけ。自分が正しいってことを叫んでいるだけ。

本当のバランスって、右左関係なく"自分の考え"に基づいて

善悪や是非を論じること、やと思うねんね。

 

右左なんて言葉で片付けるのも可笑しいよな~って思うこのごろ。

 

※ちなみに・・・誰それがどうこうってワケや無く、あくまでも一意見っすわ。

左右の言論を非難してるわけではないし、必要な部分もあるしね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月24日 (火)

かる~く。2弾め。

昨日の続きやが、結構これになるとツライもんがある。

たぶん、これを制御できる自分がいなくなると、よくある

精神疾患や、自殺や、問題になったりするんやろう。 

五月でもないのに五月病・・・ってかそんな年でもないしな~。

若くしてこれを患うと、解決できる選択肢を持ち合わせていないから

苦しいのかも知れない。

年食って罹っても、経験地や確固たる自分のあり方が見えなければ

ひどくなるのかも知れん。

 

ひどくなってしまった状況なんて理解できんが、そのようになってしまう

経過は理解できる(かもしれない)

周りが「みんな心配しているよ」と言っても、疑心暗鬼の塊には

それすらも裏を読んでしまう。そんな裏のない言葉であっても。

すべてが、マイナスにしか取れない。

自分に対して幸せな状況を作り出せない。

人を信用できない(って俺はもともとしてないが(-.-))

もしかしたら、精神的な疾患って、あまりに人に対して

考えをめぐらせて、いろいろなイメージをして、相手のことを

常に考えてしまう人間がなってしまうのかも?

あまりに深く考えすぎて、破綻する可能性も捨て切れんし。

当然確証は持っていないが、そのような見方も出来るかも

知れんよ。

まだまだ、つづく。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年4月23日 (月)

かる~く。

鬱です。

半年ごとに発生する"恒例"になってしまつた。

すべてが負に感じる、この感覚がとてもイヤだわ。

 

とりあえずストレスが大なり小なり積み重なって

ひょんなキッカケで発生するから難儀なんよね~。

 

 

まぁ、慣れたというか。

それの対処法をすでに体得してしまった感もなくはないが。

 

基本的に傍目には普通なので(家でも)、問題ないっちゃ無い。

 

 

書きたいことはまだあるので、翌日に。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月21日 (土)

言葉の重み。

言葉っちゅーんは、心のこもっているか否かで受け止め方は変わる。

言葉を”道具”としてしか使っていないのであれば、どんなに良い言葉も

色あせる。相手に届かない。

自分に都合のいいように、または自分側に誘い込むためだけの情言葉は、

狡猾にさえ感じる。

 

 

薄っぺらい言葉はいくら重ねても、重みのある言葉ひとつには到底勝てない。

 

 

話術が秀でていても、それはあくまでも議論やビジネスの場で有効なだけであって

本当に人を動かす、気持ちを共にするとなると「?」やねんな。

聞いている側は結構引いてまう。気持ちいいのは言っている本人だけ?

大切なものを見誤って、失うものも大きいかもね。

 

 

聞えのいい言葉を並べるよりも、ヘタクソでも気持ちを伝えようとする

言葉のほうが受け止めがいがあるってもんや。伝わるもんもチガウで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月20日 (金)

長崎の事件。

>城尾哲弥容疑者の名前の郵便物がテレビ朝日に届いた問題で、同社は18日夜、
>ニュース番組「報道ステーション」で「犯行声明が届いた」とした17日の当初の
>報道について「テレビの早とちり体質がにじんだ。誤解を与えたことを重ねて
>おわび申し上げます」とあらためて釈明した。

おそらく「その方が視聴率が上がるから」と思ったのではないだろうか。

少なくとも、届いた時点で内容確認をしているわけで、当然内容からして
責任者も目を通す。
そしてキャスターも事前に目通しし、コメント内容を整理していくはずやから。
(事件一報から報道までの時間間隔を考えると)

要は”携わる人間のほとんどが分かっていた”、と言うことを推測できるわけですな。

ってことは、
「犯人に関連した抗議文」よりも

「犯行声明が届いた!」
と示したほうが、確実に目を引く。

最近の報道機関の姿勢には疑問を感じるなぁ。

このように大げさに言うも然り、"誤報"然り、捏造に近いものも然り。

すべて”視聴率”を基本に考えが蔓延しているからと思う。

テレビ局の"経営"の観点から、短絡的に導き出されるのは分かるが
事実を客観的に、冷静に報道できない報道機関なぞ、不要ではないやろか?

嘘や誇張はあってはならない。それが報道機関の使命とするべきである。

「報道の自由」を叫ぶ前に自身を見つめなおすのが、まず先ではないのかな。


あくまでも推測の範囲内とはいえ、昨今のテレビ局にまつわる問題や事実、
規範意識の欠如を目にすると、あながち外れているとは思えない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月19日 (木)

ありゃりゃ。

たとえば、相手に伝えたいことを”伝えた”としても、

その真意って分かる人って極僅か。

よっぽど近しい人間か、共有できる感覚の人間でなければ

伝えても、”伝え損”の結果に見舞われる。

  

おそらくそれは誰にもあることで、自分にも言えるかも知れん。

自分が”正しい”と思う事柄に対し、それを否定する事を言われ

たとしても、分からんもんは分からん。まず、何を言いたいんか?

の時点で理解できんのかもしれん。

 

 

たとえば・・・ 

誰かと話したり、本を読んだりして「感銘を受ける」ってことはあるが、

それはあくまでも”自分の思想・理念”に基づいて、「受け入れられる」

ものだけに過ぎん。

それ以外の言葉は、心に染み入ること・・・いや頭にも入らんのとちゃうかな。

それと一緒で、言いたいことってのは発言者にとっては重要なことでも、

聴く側の人間にとっては、ホンマさして”ど~でもいい”ように思われるもんさ。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月18日 (水)

ゲンキを貰ったよ。

昨日は、人と話をして、またゲンキを貰った。
 
少なくとも、思うところは共有できているし、
それは何より、大きな味方や。
 
 
 
人と話すのは重要だと改めて感じたかめきち。でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月17日 (火)

なかなか・・・。

いま、このブログとは別にもう一本手がけてるんよね。

最近の旬の情報に対して、ブログを書くのがベースなんやけど、

筆の進むペースは速い。

なので、必然的にコチラでの書き込みペースも上がってきた・・・。

う~ん、原点回帰。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月16日 (月)

ゲットだぜ。

昨日は新聞の契約更新を早々と済ませちゃったぜ。

(まだ8ヶ月もあるのに。)

 

と言うのも、配達してるオッチャンが

景品をたくさんたくさんくれる!って言うんで、

(かつ契約件数稼がしたらなアカンかったんで。そう、友として。)

「ソレナラOKヨ」ってな感じで更新しましたん。

 

 

 

まさに役得じゃ。ほっほっほ。

また助けて貰うことも多いしね!(^^)!

持ちつ持たれつ、万歳!

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年4月14日 (土)

気がゆるゆる。

引き締まらない。
 
 
 
朝のことやけどね。
妻が早々といなくなると(と言っても家出ではない)
ついつい気が緩んで、眠ってしまう。
 
 
そして、起きると
「やばっ!」てな時間に目覚めるんや。
 
 
ん~、
俺にとっての妻の存在は
「怖い母親」か「鬼教師」のいずれかだ。
 
居てるときゃ、そりゃ~もう
"ピシ~ッ"っとしてるもんよ。
 
 
 
やっぱり居てくれてる方がありがたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月13日 (金)

選挙とは、議員とは。

国政を司る場所に存在し、国民の声を、国民のために
行使する権限を持つのが政治家だと思う。
 
そこには、さまざまな見地からの考えや信念、
しいては"国のため"にどうあるべきかを行動に
移していく、我々国民には計り知れない重責が
のしかかっている事と思われる
 
それなのに、
たかだか建築家や、票数集めのために駆りだされる
タレント議員たちを見ると、とても将来に対して
悲観を抱かざるを得ない。
 
たとえば、
立候補する以上は、表に出ない部分を含めて
「この国はかく在るべきか」を知り、変える為には何を成すべきか
それが分かっていて当たり前。
もしくは国民の利益のため、に情熱をもって望むべきである。
 
それが彼らにはあるのかが読み取れない。
たしかに聞こえのいい掛け声(いわゆるマニフェスト)を
発してはいるが、内容をみるとそれがいかに非現実的か、
もしくは実現する気があるのか、ないのか分からないものが
とても多い。
 
国会はけしてお遊戯の場所ではないんよ。
一国の存在意義や、外交での壮絶な駆け引きを行うために
何が必要か、戦略をたてる場所であると思うんやわね。
 
そこに、知名度だけに名を借りた人間が出てきてしまう現実を
知ると、ヒジョ~に嫌悪を感じてしまう
 
見えないところで勉強するなり、事の本質を見極めているのであれば
信頼に値するやろうが、そう見える人間って限りなく少数やろう。
 
 
政党も、集票マシンとして彼らを引きずり込むのはやめにするべきやと
思う。日本の立場を確実にするために、また国内の庶民が幸せを感じるために
何をするべきか、それを先人切って考える時期のはず。
  
幸せとは、何も金だけやないよ。
働く幸せ。
生きる幸せ。
他人の幸せ。
 
今の日本人に欠けたものを取り戻す手法を訴える人間がおってもいいと思う。
聞えのいい言葉は聞き飽きた
本当に”日本人でよかった””日本のために”と思える政策を打ち出せる
そんな人間に全幅の信頼を寄せたい・・・。
 
 
 
もし、この記事を見て「そんなん理想、やっぱり"持ちつ持たれつ"よ」と
思ったあなた!
それは、その構造そのものが間違っていると言うことになる。
国民のための施策には、我々国民が思い描いていることの逆の結果を
招くこともある
ただ、結果として将来の、自分の子供が大人になったときに
変わるのであれば、それでよい。

なんでもかんでも地元民の陳情や、献金その他貢献している
人間だけに、メリットを享受させて何も感じていない政治家そのものに
問題が集結してしまっている。

まずここに疑問を感じないと、何も変わらない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年4月12日 (木)

今日は・・・

今朝、眠気覚ましに風呂入ろ思て、
風呂を沸かして待っていたら、ウトウトしだして、
湧き上がった(と思われる)1時間後にようやく入浴したっす。
 
既に風呂の下の方は冷めていたので追い炊きして
・・・しながら、風呂の中でまたウトウトしてました。
 
 
寝てばっかりやん。
 
 
 
体調も万全ではなかったので、ある程度推測できてはいたが
ここまでとは・・・
 
 
 
不覚。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月11日 (水)

俺はコリコリ。

今日・・・

初めて知った事実と、真相・・・

それはまさに、自分にとって、

いや人生において、驚愕の瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 

俺は・・・

 

 

 

 肩こりだった。

 

が~ん。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

考える。

最近、私めは・・・

  

  ●動じず(ドウジズ)

    ●驕らず(オゴラズ)

      ●憤らず(イキドオラズ)

を気持を持つように心がけている(-"-) 

これを俺は頭文字をとって━D.O.I━と呼ぶことにした!

 

ってか、んなっこたぁどうでも良いんだが、

もう、どうしようもないもんに憤っても意味が無い!!(-"-)

腹立つようなことも、なぜか・・・慣れた。

と言うよりもそこに費やすものを、別のほうに向けたほうが

なお良いことに気づいたからかも知れんなぁ。

だから動じなくなったし。

 

んでもって、 

他人の行動って目に付いて批判することは多いが、

それを踏まえて、

「自分は大丈夫か?」って常に見てるから。だから驕らない。

 

そういう、自制心を持つことは、けして自分を抑え込むことじゃない。

それを持つことで、自分の気持ちには確実に余裕ができる。

物事や周囲を客観的に見るためには、まず「自分」が変わらないといかん。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月10日 (火)

朝食だ!

ここ2日間、15年ぶりに朝食と言うものを食べだした。
それまで朝食自体を求めていなかった、
且つ食べると気分が悪くなることが多かったので、
ぜ~んぜん食べなかったんやけど、
 
 
あえて!
 
1日3度の食事を大切にしてみようと、ふと思い立った。
 
 
ってことで、初回はマクド。
2日目の今日は吉野家に行ってきた。
 
 
20070410083232  
 
内容は健康的か否かはともかく、
始めてみることが、まずなにより(と思いたい)
 
 
(たぶん)
明日からは家で食べることになるやろうけど。
嫁にその話をしたら「無駄遣いしやがって」と言われたゆえ。
  
 
 
そもそも、最近は夜中の2時から起きっぱなしなので、
体の調子が変わってきてるんやろうね。
(それまでに4時間の睡眠はとるようにしているが。)
 
なんか、たぶん、思うには。
生きるために精力をつけろ、と体が感じているのかもしれん。

なので、それを素直に受け止めただけのこと。

 
 
さて、朝食が楽しみやな~。

| | コメント (3) | トラックバック (1)

2007年4月 9日 (月)

温泉だ。

昨日は近場の温泉に行ってきたんよ~。
 
久々に言ったら露天風呂があったから、今までよりもくつろげた・・・。
 
まぁ、露天風呂のような開放的な場所での入浴は、なんと言うかとても不思議な感覚になる。
まぁ、たぶん裸のまま、開放的な場所にいるからやろうけど・・・
 
露天の良いところって、その場から周囲の風景をジ~っと眺めているだけで、結構楽しめる
ところにあるんやないやろか。
昼間なら木々の緑も味わえて、風にそよぐ葉のざわめきさえも心地よく感じるんやな。

夜は夜で同じ風景ですら、違った感覚で見えるのも不思議やねんな~。
同じ木々が、背景が黒に塗りつぶされた中で非常に存在感のある、ある意味威圧感すら
憶えるし、そこから発する音が、心地よさと対極の”畏れ”すら感じてまうね。
 
自然を体中に浴びながら、気持ちの良い湯に浸かる幸せを思うと・・・
日本人で良かった、とただそう思うんよ。
 
 
 
ただ・・・
悔しいことに、俺よりもガキのほうが行っている回数が多いことに気がついた。
もっと行きて~。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 7日 (土)

何や言うても・・・。

勉強するにも、
自分の興味のあること憶えるにも、
 
手書きが一番。
 
自分の手先を使って書くことは、頭に憶えるスピードと内容が違う。
目で追ってるだけでも駄目。
キーボード叩いているだけでも駄目。

特に日本人が手先は器用と言われるが、それは手指を万能に使えることから始まる
箸の使い方は、欧米やその他アジアの諸外国の人からみたら
まさに「マジック!」らしい。
二本の棒で”つまむ” ”はさむ” などなど本当さまざまに応用効くわな。
指先を使うことは、脳を使うこと。それは創造を生むことにも他ならんわけ。
 
今や学校給食でも先割れスプーンらしいが、それでは脳の発達も
手先の器用さもありゃしない。日本人が持つ日本特有の文明文化を
だんだん失くしていっている、これがとても悲しい。

欧米食に偏って、箸の使い方ひとつも教えられない子供の状況を憂うわ。
 
日本人なら、日本のよさ、大切さを教えたい。
 
 
カッコいいなどと愚かな概念に侵されて欧米化していくエセ日本人を見ると
将来はないとすら思ってしまう。
日本で生まれた、そして育まれた良さを、どれだけ伝えられるか・・・・・
これがいまの大人に必要な気概だと、俺は思う。
方言ひとつとっても、標準語が良しとさえされる気風もあるけども、
やはり土地土地で生まれた言葉には、風情や情・意味合いもとても大きい。
アメリカにも南部なまりがあるように、日本もなまりを恥じるではなく
それを胸を張って喋れる、誇りある人間を育てるべきやろ。
標準語なんざ、大人になって別世界に放り出されりゃ、必要最低限は
憶えるもんや。
子供のころは、自由闊達・生まれた地を愛する心を育むことが親の責務であって
それが地域、しいては国への愛着にも繋がるってもんや。
 
なんや言うて、日本特有の文化に対して拒絶感や、否定的に見てしまう人間って
実は自分に自信がないだけかも知れんね。
自分の住む地に誇りを持てず、周囲環境に流されてしまっているだけなんやも知れん。
そして、その主張を取り繕った論理で押し通すことがプライドの保持に繋がっている。
 
 
もっと日本を愛そう。
良き所は、まだまだ多く眠っているから。
 
海外から見たら、日本のミステリアスな部分は、羨望の眼差しで見られることも多いんよ。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年4月 2日 (月)

価値観と強制。

お久しゅうございます。
さてさて、久しぶりにまじめに書いてみようと思いますねん。


人間誰しも持っている”価値観”。
これは人それぞれ異なるものであるし、そんなこたぁ、言われんでも分かるわな。
しかし、不思議なもんで、
多数の人間は”自分の価値観”を”他人に押し付ける”事が、ままある。

「お前のその考え方は間違っている!」
と言わんかの如く持論を披露し、聞いているこっちは疲労する。
人生も半ば近くになり、さまざまな経験を積んできたオッサン(オバサンでもいい)が
若く、熱い情熱の塊・・・ついつい突っ走り気味の若者を諭すのには非常に有効やろう。
仕事にまつわる価値観であれば、同じ仕事場に居る後輩に教えを説くのは必要やとは思う

ただ、たとえば
宗教的概念、もしくは精神論じみたものを、我が思うことが絶対的価値やと言わんかのごとく
語られても、聞くほうが困るわけよ。
しかもこれが家庭内、しいては教育うんぬん・・・
になってくると、非常に心地の悪い状況に直面するんやな

それぞれに置かれた状況も異なれば、接する人間の性格、周囲の環境すべてが違う中で
「お前らは若い(経験が浅い)んやから、オレの話を聞けぇ!」的な物言いをされても困る。

特に宗教的価値観については、
かめきち。自身があまりその手に興味がない。
確かに先祖を大事にするのは大切で、それを敬う気持ちを忘れてはならんと思う。
先祖があればこその自分、と言う意味も含めてな。
ただ、かといって家に帰って祈りをささげるでもなく、あの世を信じているわけでもない。
俺の価値観からすれば、既にこの世に存在していないものに対して、祈りをささげたところで
何が変わるわけでもない
さらに、信心深くなったところで、信じれるのは「自分だけ」やからと思うからよ。
これは別に独善的な意味ではなく、現実を考えればその通りやと思う
苦しいからといって神様やら先祖さまやらが助けてくれるわけでもなく、
道を開き、結果として残るのは”自分の行動”に係っているに過ぎないからやな。
神様やら、仏様やらを信じるのは人間の弱いところの表れでもあるわな。
弱いから、他に助けを求める・すがる。
すがることで、自分の持つプレッシャーから少なくとも逃れられる気分になるからや。
ただ、こんだけ好き勝手書いても、「何かを信じる」人を非難するつもりもなけりゃ、
それはそれで必要な方法なんやろうと思うから、「間違ってるで」とも思わん。
だから、人それぞれの価値観を尊重するのが必要、と言いたいわけよ。
 
俺みたいな考えの人間もおりゃ、信心深い人たちもおる。
それが当たり前なんやで。
 
相手を認めて、それでもなお可笑しい考えがあれば話し”合え”ばいい。
一方的な押し付けほど罪深いことはないと思うな。
 
さらに、家庭内の教育にまで口出しされだした日にゃ、もー好きに言うとってーってなる。
他人の家庭に口出ししているのと同義なんよ。言い方にもよるけど。
では問うが、その発言をすることで、影響が悪く出たときにどうするつもりか、と思う
「言葉を鵜呑みにしたお前が悪い」と言う言い分ももっともだが、それ以前に口に出し
こんこんと持論を説いた責任は発生しているはずや。
まぁ、俺はこんな言葉は鵜呑みにしないタイプなので、影響はゼロだが、今後どこで
どうなるかはワカラン。
 
 
 
 
俺の書くブログ内容も一部の人間には受け入れられても
受け入れられない人間もいる。これが現実やで。
さらに、大方には逆の価値観があっても内容の一部には相通ずることもあるやろう。
 
 
せやから、価値観は押し付けたらアカン。
ってこと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »