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2007年9月25日 (火)

硬派のメディア(読売)も堕落した。

産経新聞の記事が興味深いので引用させていただく。
今回の自民党総裁選が、如何にして操られていたものかを
如実に表している記事やと思うわ。
日本のメディアでマトモなのは、もう産経だけか?とさえ
思わせられてしまうな。様々な情報ソースから見て信憑性は
非常に高いようですな。この記事は。

---【首相交代】(上)新YKK“謀議”で「反麻生」
                          引用:産経新聞社9月24日付

■ いつの間にか町村派主導

 福田康夫を第22代総裁に選出した23日の自民党両院議員総会。福田が滝のような
フラッシュを浴びる中、両院議員総会長の谷川秀善が首相、安倍晋三のメッセージを読み
始めると会場は急に静まりかえった。
 「首相の職を辞すことにより、今日の政治空白を招いたことに対し、麻生太郎幹事長を
はじめ、自民党所属国会議員、党員・党友、そしてすべての国民の皆さまに心よりおわび
申し上げます」
 メッセージで実名が挙がったのは麻生だけ。「自分が麻生支持を表明すれば、逆に麻生に
迷惑がかかるかもしれない」と考えた安倍の最大限の配慮だった。それを感じ取った麻生は
微動だにせず、目を潤ませた。

 北朝鮮問題などで安倍と敵対してきた福田が総裁選で圧勝したことは、自民党が「戦後
レジームの脱却」を掲げた安倍路線を否定したことを意味する。「安倍路線の継承」を掲げた
麻生は8派閥に包囲網を敷かれ、締め上げられた。あまりに厳しい選挙戦に、麻生陣営のある
閣僚経験者は「今回の総裁選にスポーツマンシップはない。ケンカだ」とこぼした。

 その麻生が、下馬評をはるかに上回る132票もの国会議員票を獲得したことは、自民党に
大きな衝撃を与えた。両院議員総会終了直後、握手をしようと追いかけた福田を振り払うか
のように、麻生は演壇を降りた。自民党が昭和40~50年代の「角福戦争」のような闘争に
突入していくことを予感させる瞬間だった。

 福田陣営が党本部1階で開いた報告会には、支持議員約60人が集まった。津島派会長で
元厚相の津島雄二、山崎派会長で元副総裁の山崎拓らは、「夢か幻か…」と目を潤ませる
福田を満面の笑みで迎えた。
 しかし、福田擁立の立役者である元幹事長の古賀誠や加藤紘一の姿はなかった。元首相の
森喜朗は、腹心の前幹事長、中川秀直に「ご苦労さん」と静かに声をかけ、福田と握手を
交わしたが、笑顔を見せることはなかった。
                   ◇
 「11月にはテロ対策特別措置法の審議が行き詰まるだろう。そこがチャンスだ」
 安倍が辞任を表明する前日の11日夕、東京・紀尾井町のホテルニューオータニのフィットネス
クラブ「ザ・ゴールデンスパ」で加藤がこうささやくと、山崎は深くうなずいた。
 11月1日に期限切れとなるテロ特措法の延長をめぐり、安倍政権が窮地に追い込まれるのは
間違いない。それまでに安倍包囲網を構築し、一気に倒閣する。これが加藤が描いたシナリオ
だった。

 加藤は11日昼、山崎との密会に先立って「新YKK」のもう一人、古賀と東京・赤坂の日本
料理店で会っていた。3人は安倍包囲網構築を掲げていたが、今年5月ごろから古賀は加藤らと
距離を置くようになっていた。
 「山崎は『うちの派閥は安倍内閣への人材派遣会社だ』などと、はしゃいでいるじゃないか」
 「倒閣を成就させるには古賀を引きずり込むしかない」と考え、必死の説得を試みる加藤に、
古賀は山崎への不信感をあらわにした。
 なかなか首を縦に振らない古賀に、加藤は山崎から7日にかかってきた電話の中身を打ち
明けた。「訳の分からぬうちに安倍の続投が決まり、麻生が次期政権に向け露骨な動きを
している。このままでいいのか」
 「麻生」の名に古賀は目つきを一変させた。
 「麻生の渋谷の邸宅は門から玄関まで何分もかかる。そんな邸宅に住むやつに庶民の
気持ちが分かるはずない!」
 同じ福岡県選出で「マコちゃん」「タロちゃん」と呼び合う仲だった2人の関係はこれほど
冷え切っていた。

 3人は11日夜までに、次期総裁選は麻生以外の候補を担ぐことで合意した。世襲ではない
「たたき上げ」の政治家ばかりで11月10日前後に会合を開き、次期総裁選に向けて本格的に
動き出すことも決めた。会合に誘う相手として、総務会長の二階俊博、国対委員長の大島理森、
津島らの名が挙がった。
 ところが翌12日午後、安倍は突然辞任を表明。具体的に煮詰まっていなかったとはいえ、
「反麻生」で一致した3人の謀議が、福田擁立の受け皿となった。
                   ◇
 福田擁立にはもう一つ動きがあった。安倍の後見人である森である。福田の父である元首相、
故福田赳夫の薫陶を受けた森はかねて「清和政策研究会(町村派)の首相候補はまず福田、
次が安倍」と考えており、順番が逆になったことに複雑な思いを抱いていた。

 森が安倍の辞任表明を知ったのは外遊先のパリだった。慌てる森に一本の国際電話が
かかった。「メディア界のドン」といわれる男からだった。
 「すでに山崎や古賀、前参院議員会長の青木幹雄は福田支持でまとまっている。あなたの
残る仕事は派内の調整だけだ」

 森は青木に電話で意向を確認するとともに、町村派幹部には「他派閥に迷惑をかけているの
だから自重しろ」と命じた。だが、すでに自民党内では「森は福田擁立で腹を固めた」との情報
が流れていた。

 13日朝に成田空港に到着した森は同日昼、青木、山崎らとひそかに会談し、福田擁立を
決めた。町村派がこの事実を知ったのは夜になってから。ある中堅議員は「昼間は『町村(信孝)
擁立』と聞いていたのに、いつの間に入れ替わったんだ」と首をひねった。
                   ◇
 急速に党内をまとめ上げた福田擁立劇は、次期総裁最有力といわれた麻生を一気に引きずり
降ろしたが、遺恨も残した。

 町村派を除く各派は、調整型の福田をそろって支持することで、森、小泉純一郎、安倍と続いた

「清和研政権」色を薄めたいとの思いがあった。だが、当初、選挙対策本部が置かれたのは
町村派事務所のある「グランドプリンスホテル赤坂」。陣営を取り仕切ったのは少し前まで安倍
シンパを名乗っていた町村派議員で、司令塔は森と中川秀直だった。選挙対策本部は途中で
自民党本部内に移ったが、町村派主導の選挙戦は最後まで続いた。

 福田擁立劇の主役の一人は「森が院政を続けるために、われわれが利用されたのではないか。
なんかしっくりこない話だ
」と不満顔。別の派閥領袖級も「大量に麻生に票が流れたのは町村派
への批判の表れだ」と打ち明ける。

 各派領袖からは「自分で果たせる役割があるなら一緒になって支え抜く」(古賀)、「われわれの
意見を聞き、バランスの取れた人事をやってほしい」(山崎)など、さっそくポスト要求の声が
上がっている。福田が党役員人事、組閣でさじ加減を誤れば、各派の不満が噴出する可能性もある。

 ある閣僚経験者は「挙党態勢というのは意外ともろいものなんだ」とうそぶいた。総裁選は、
自民党混迷の序幕にすぎないのかもしれない。
 (敬称略)

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